人間の行動・振る舞いの方程式 (状況に向かう姿勢)+(状況把握)+(行動・選択)「この方程式を覚えておきましょう」
パート1臨床倫理の基礎

意思決定プロセス

臨床倫理の営みがなされる中心的場面は意思決定プロセスです。医療・ケアを進めていく際に、本人・家族と医療・ケア従事者が共同で行う作業の中心は、何らかの意思決定(選択)だからです。どのような治療方針にするか、退院後どこで療養するかといったことから、決められた方針にしたがって治療を行っていくプロセスで起きる細かい選択、あるいは本人の気持ちが変って治療の継続にストップがかかった等の場面まで、意思決定・選択のプロセスが次々と重なって続きます。ですから、これまでに見て来た倫理原則を意思決定プロセスにおいてどのように活かしていくかについて、理解を深めておくことは、臨床倫理の実践において必須のことだと言えましょう。

意思決定プロセスにおいて倫理的に適切な対応をしていくためには、3倫理原則のそれぞれを自ら体現しつつ、個別の状況把握と組み合わせて考える必要がありますが、意思決定プロセスの適切さという点では、人間尊重原則が核になります。かつ、「相手を人として尊重する」という限りでは一貫しているのですが、意思決定プロセスにおいて「どのように本人や家族と対応していくことが相手を人として尊重することになるのか」については、社会における支配的な見解がここ30年を振り返ってみても、相当動いているのです。そういう変化を理解しつつ、現在社会的に要請されている「相手を尊重するやり方」を実践的に身につけましょう。

さて、以下では、まず現在社会的に要請されるようになってきていると私たち臨床倫理プロジェクトが考える意思決定プロセスのあり方(情報共有-合意モデル)を紹介します。次に、このあり方の背景にある、従来支配的であった考え方(説明-同意モデル)を振り返り、両者の間にある人間関係についての理解の変遷を見て行きましょう。

これからの考え方:情報共有-合意モデル

現在求められている医療・ケア従事者-本人-家族の関係を踏まえて〈人間尊重原則〉を体現しつつ意思決定プロセスを進める際には、互いの情報を共有した上で、合意を目指して話し合いを進めるという考え方を核とする《情報共有-合意モデル》がお勧めです。
このプロセスは、また、身体の〈生命〉に注目して行う医学的な状況把握をベースにしつつも、本人の〈人生〉に注目して本人にとっての最善を考えようとする、という考え方を示すものでもあります。
次の図に概要が描かれています。

これは、

(a)医療者は本人・家族に、エビデンスに基づく医学的情報中心の(生物学的=biologicalな)説明を行う、

ということはもちろんですが、これに加えて、

(b)目下の意思決定・選択に関係する限りにおいて、本人側の事情や考え・気持ちを理解しようとし、本人側に聴こう

という姿勢を併せ持つのです(図中の患者側から医療側への「説明」がこれに該当)。ここで、患者側から得られる情報は、そのいのちの物語り(=biographicalなもの)を中心として、現在の個別の事情や価値観を含んでいます。そういうことも考慮に入れるということは、医療上の決定は、単に医学的情報だけで決まるものではなく、患者側の人生についてのこうした情報も兼ね合わせた上で決まるものであることを示しています。また、このモデルは、決定は両者が共同で行うものとして、「合意を目指すコミュニケーション」が要であることを示してもいます。エビデンスにもとづく最善の判断は、主として患者のかかえる疾患に注目し、その生物学的生命に定位してなされるので、当の患者についての個別の判断には違いありませんが、物語られるいのちを生きている患者の個別の事情を切捨てた限りでのものという意味で最善についての一般的判断です。ですから、医療側は、患者側の物語られるいのちの個別の事情をも考慮にいれて、何が最善かについての「個別化した判断」へと進む必要があるのです。

プロセスはダイナミック

意思決定ないし選択に到るプロセスはダイナミックです。コミュニケーションのプロセスを通して、相手が変わる可能性も、自分が変わる可能性もあります。患者さんの理解が進み、「嫌だ」から「やりましょう」と変ることもあります。患者さんへの理解が深まった結果、初めは手術が最適と思っていたが、この人の場合は別な治療法を選んだほうがよいかなと、医療者のほうが変わるかもしれません。医療者の意見が絶対的に正しくて、患者さんがそれを納得しないのは知識がないから、間違っているからだ、という固定的な考え方ではなく、自分たちも変わるかもしれないという柔軟性をもてば、両者でよりよい道を見出していくことができるでしょう。

倫理という点でいっても、プロセスはダイナミックです。「同の倫理と異の倫理」で説明しましたように、相手と自分の関係の遠近に応じて、倫理的に適切な対応の仕方は変化します。見解が相違している場合、一致を求めて、ぎりぎりまで粘り強く話し合います(「同の倫理」に則った途)。それでもうまくいかず、相手の価値観と自分が医療者としてもっている価値観とは折り合わないということもあるでしょう。そのような場合には、相手と自分は異なるのだということを認めたうえでの問題解決を図ることになります(「異の倫理」に則った途)。

意思決定プロセスは意思決定支援のプロセス

意思決定のプロセスは、疾患が重篤である場合はことに、ケアのプロセスでもあります。患者は、突然目の前にたちはだかった死に直面しています――死を避けるためには、自分がこれまで大事にしてきたこと、生きがいすら放棄しなければならないと宣告されることがあります。あるいは、医療側が提示する途を必至のこととして、辿ってきたはてに、目前に死が迫っていることを直感することもあるでしょう。この危機をどのようにして乗り越えられるでしょう、どうすれば良いでしょう。患者は(そして家族もしばしば)、途方にくれ、選択ができなくなり、あるいはパニックに陥るのです。意思決定プロセスのただなかでそのような状態にある患者・家族を支えることもまた、医療者の務めです。もちろん、医師だけでやるわけではないし、やるべきでもありません。「医療ケアチームで対応する」ということは、「終末期医療の決定プロセス」だけのことではなく、患者・家族の人生の物語りにとって危機的な状況において、一般的に言えることです。しばしば、医師よりも、看護師やMSWのほうが、患者・家族がその思いを吐露しやすい相手です。そうであれば、医師は、看護師やMSWと協働して、チームでことにあたることが、以上で提示したような意思決定プロセス即ケアのプロセスを適切に辿る上で欠かせないこととなります。

考えてみましょう

宗教上の理由で「輸血はしないでください」と強く主張する患者に対して、どう対応したらよいでしょうか。「意思決定プロセスはダイナミック」という理解に基づいて考えてみてください。

《いのち》をどう解するか:人生と生命

もう一点、上の図に〈biological〉と〈biographical〉という対語がでてき、それらはその下の説明に中で「生物学的生命」と「物語られるいのち」という表現で説明されました。平たく言ってしまえば「生命」と「人生」です。この対語を理解することは、「本人にとっての最善」を考える際に、つまり、「与益原則」を適切な状況把握と組み合わせるために基本となります。これについては項を改めて考えます(以下の「次の項目へ」を辿っていけばやがて 「人生と生命」のページ も見ることになります)。

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