人間の行動・振る舞いの方程式 (状況に向かう姿勢)+(状況把握)+(行動・選択)「この方程式を覚えておきましょう」
パート1臨床倫理の基礎

人間の間にある倫理

人間の間で成り立っている倫理について、以上で基本的なことを確認しました。その上で、本ページでは群れをつくって生きぬこうとする動物の一種である人間において、群れのメンバー間で互いに要請し合うということが生じた過程に思いを馳せながら、どのようなことを要請し合うようになってきたかに注目することで、現実に私たちの間にある倫理の構造について理解を深めます。現在の倫理の内容から、群れとしてサバイバルを図ってきた人類の歴史について理に適った物語りを構成してみます。出発点は、私たちは周囲の人々との基本的な人間関係について、一見両立しない2つの考えをもっている、ということです。

《皆一緒》と《人それぞれ》/同の倫理と異の倫理

私たちは、人間関係の遠さ・近さを計りつつ、それに相対的に、適切な振舞いを選択している

という事実があります。遠い間柄では「相互に干渉しない」ことが適切だと、私たちは思い、そのように相手に対して振舞おうとします。しかし、近い間柄では「親身になって考え、時には相手の内側に入り込むような言動をする」ことすら適切だと思っています。 どうしてこういうことになるかについて、次のように説明できます。

私たちの内には、《同の倫理:皆一緒》と《異の倫理:人それぞれ》が並存している

ここで、《同の倫理》とは、自分と相手とは「同じ」だという理解に基づく対人関係の姿勢を核とする人間の振る舞いの様式です。自分たちは仲間・同志だと思うと、私たちは支え合って生きようする行動を自然と選びます。仲間どうしでは「互いに助け合う」ことを要請し合います――ですから、このような振舞いの様式は倫理だと言えます。これは群れ単位で共同生活をし、サバイバルを目指してきた、長い歴史を通して、私たちの身にしみついた行動様式だといえるでしょう。こういうあり方をスローガンとして表せば《皆一緒!》ということができます。

これに対して《異の倫理》とは、「異なる・別々」だという理解に基づく対人関係の姿勢を核とする人間の振る舞いの様式です。自分と相手とは考えを異にし、利害が時として衝突する。そういう異なっている者同士が、衝突しないで、平和的に共存するための知恵として、成立した行動様式が、異の倫理です。スローガンとしては《人それぞれ!》と言い表せるでしょう。それは一言でいえば「相互不干渉」です。つまり、それぞれの縄張りには、互いに侵入しないようにし、相手のことに口を出さない(干渉しない)ということです。こういうことを私たちは互に要請しています。ですからこれも倫理なのです。「自己決定」、「自律尊重」と言われることは、まさにこの振る舞い方を示しています。

同の倫理と異の倫理の他者についての理解は、次の図のように対比できるでしょう:

私たちは、人間関係の遠近に応じて《皆一緒》と《人それぞれ》のバランスを変えつつブレンドして、対応している

このように、同の倫理と異の倫理は、対人関係において相手についての論理的には両立しない見方に基づいているのですが、私たちはこの二つの見方を併せ持っています。同じ人に対して、「自分と同じ」と「自分とは異なる」と見つつ、「助け合う」ことと、「互いに干渉しない」こととの間のバランスをとろうとしています。
こうして、現在、すべての人間関係には、同の倫理と異の倫理が並存していて、関係の遠さ・近さに連動して、両者のバランスが変動しています。臨床現場においても、このような人間関係に相対的な倫理が働いており、いろいろな判断において医療者たちの振舞いを左右しています。
同と異の倫理のバランスをとって生活

1) 同の倫理も異の倫理も、単独ではマイナス面があります。同の倫理は、自分と相手が同じだという前提ですので、相手にとって好いと思ったことを勝手にやってしまう傾向があります。本人の意思を尊重することの軽視です。また、個よりも全体を優先し、皆が一緒でないことを嫌がり、仲間の多数のあり方とは異なるあり方をしている個人を(自ら進んでなったのでない場合も含め)排除しようとする傾向があります。 他方、異の倫理は、互いに干渉しないということから、相手への冷淡な態度やギブ・アンド・テイクの対応を伴いがちです。この一見両立しない二つが私たちの間で並存することによって、こうした欠点を互いに補っているということができます。 コミュニティの存続の危機に直面すると、私たちは同の倫理に傾いた考え方をすることによって、団結して乗り越えようとします。3.11大震災と津波、原発事故の後の時期はまさにそうでした。それは上述の説明からすると、自然なこと、当然なことなのです。しかし、異の倫理も少しは働く必要があります。同の倫理ばかりが活性化すると、個々人の事情を無視したり、被災の程度の違いで間柄がぎくしゃくしたりするという問題が起きることになります。

2) 社会のあり方をどう考えるかについても、この二つの倫理の並存とバランスという見方が有効です。高福祉高負担型社会は、相対的に同の倫理に傾いています。そこで、皆が安心して暮らせるように、福祉を充実させます。そのためには、個々人が負担をすべきだとも考える点、同の倫理なのです。これに対して、個々人の負担を軽減する方向に動く時、個々が独立に生きていくあり方を良しとしています(異の倫理)。相互扶助という同の倫理は弱まって、低福祉低負担型社会になります。

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