人間の行動・振る舞いの方程式 (状況に向かう姿勢)+(状況把握)+(行動・選択)「この方程式を覚えておきましょう」
パート1臨床倫理の基礎

意思決定プロセス

家族をどう位置付けるか

家族は当事者

意思決定に際して、ケアが応対する第一の当事者は患者本人です。しかし、ことに疾患が重篤であって、さまざまな仕方で家族に影響する場合、家族もまた当事者です。 なぜなら、家族は

① 患者の罹患したことの影響を受けて、さまざまな問題を抱えています。したがって、家族はケアの対象でもあるのです(緩和ケアは、患者と家族をまとめてケアの対象としています)。

② 家族は、患者の療養生活を支えるケアの担い手として期待されます。したがって、ケアの担い手として、自分が参加するケアをどのようにしていくかに関わる決定に参与している必要があります。

③ 家族は、多くの場合、患者の人生観・価値観を知っており、その意思を代行する第一候補です。

問題の深刻さに応じて、患者の意思や気持ちと並んで、家族の意思や気持ちも尊重することが求められます。P1(相手を人間として尊重する)における「相手」とは患者だけを指しているのではなく、家族をも指しています。また、P2(相手の益になるように)は、患者のことだけ考えれば良いというものではありません。患者の治療・療養方針の選択は、家族の生活にも影響し、患者にとっての最善は、家族に過大な負担をかけるというような場合もあり得るのです。介護の場面でも以上のことと同様のことが言えるでしょう。
本人のケア方針をどうするかが家族に影響する程度に応じて、家族の当事者性が増減します。その当事者性の程度に応じて、家族が意思決定プロセスに参加する程度は変動します。
この点を加味して、決定プロセスについて、次のように考えるとよいでしょう。

本人の意思確認ができる時

① 本人を中心に話し合って、合意を目指す。

② 家族の当事者性の程度に応じて、家族にも参加していただく。また、近い将来本人の意思確認ができなくなる事態が予想される場合はとくに、意思確認ができるうちから家族も参加していただき、本人の意思確認ができなくなった時のバトンタッチがスムースにできるようにする。

本人の意思確認ができない時

③ 家族と共に、本人の意思と最善について検討し、家族の事情も考え併せながら、合意を目指す。

④ 本人の意思確認ができなくなっても、本人の対応する力に応じて、本人と話し合い、またその気持ちを大事にする。

②については、本人の意思確認ができるうちは、本人の意思だけを聞いていると、本人の意思確認ができなくなった時に、家族はこれまでの経緯を踏まえずに、急に意思決定をしなければならなくなります。そこでこれまでの方針と食い違う方向に進みだすという問題が散見されます。
④については、本人の意思確認ができなくなる状況は、意識不明になる場合だけではありません。認知症が進んで、本人は責任ある選択ができなくなるということもあります。それでも、好悪の感情はあり、苦痛を伴う侵襲的な介入を嫌がることもあります。それに対しては、本人の残存能力に応じて、人として尊重する姿勢をとって対応します。

愛という名の支配・抱え込み

本人と家族の関係は、家族毎に千差万別です。いちがいに「家族だから」といって済むわけではないのです。ですから、個別ケースごとにその関係を理解する必要がありますが、その際に、家族内に一般にある関係の特徴を理解しておくとよいでしょう。

家族内では同の倫理が支配的 相手のために犠牲を厭わない だが、

・本人の意思を尊重することを軽視する(よいと思ったことを勝手にやる)

・本人の克服する力を過小評価する(保護しようとして、抱え込む・・・)

・家族のために本人に犠牲を求めることもある

といった傾向もある。

家族はまさに《同の倫理》が働く関係です。支え合って生きる家族は麗しく見えます。だが、良いことばかりではありません。同の倫理は「相手にとってよかれと思って世話する」のですが、ともすると、勝手にやってしまいがちです。押しつけがましかったり、大きなお世話だったりしがちです。
また、相手を思いやる気持ちが強すぎて、相手の困難な中を切り抜けていく力を過小評価し、その苦痛をひょっとすると本人以上に感じてしまいます。そこで、家族が本人の保護者となって、本人を抱え込んでしまうということも起きがちです。こうして、家族同士の愛情は本人を支配するという仕方で発揮されることもあるのです。 それから、厳しい状況におかれた本人を支える家族の犠牲というと美しくみえます。が、逆に、家族のために本人に犠牲を求めることも起きます。高齢者を施設に放置している家族には、「孫のためなんだから、おじいちゃんも理解してくれているはず」と言い合っている場合があるかもしれません。
ケア提供者は、こうしたことを理解して、本人と家族の双方が自分らしい人生が送れるように調整することも、求められています。

考えてみましょう

家族内では同の倫理が支配的であるという理解に基づいて、家族が医師に向かって「予後が悪いなんてことは、本人には絶対言わないでください」ということを、どう考えたらよいでしょうか。
また、医療者が在宅に移行するのを勧めても、本人が「家族に迷惑をかけるわけにはいかない」と、それを受け入れないことをどう考えたらよいでしょうか。

☆ 以上で《情報共有-合意モデル》の考え方を概観しました。この考え方についてさらによく理解するために、次に日本の臨床現場でこれまで支配的であった考え方《説明-同意モデル》を見てみましょう

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説明と同意