人間の行動・振る舞いの方程式 (状況に向かう姿勢)+(状況把握)+(行動・選択)「この方程式を覚えておきましょう」
パート1臨床倫理の基礎

人間の間にある倫理

倫理原則だけでは「どうすべきか」は決まらない

「お互い様」か「禁止される加害」か

前項で言及しましたように「車内での携帯通話は周囲の迷惑になるからやらないように」という社会的要請は、他者危害禁止という倫理原則の下にある、より細かい要請だということができます。ところで、「車内では携帯通話はするな」ということは、他者危害禁止という原則から直接導き出されるものではありません。現に、日本ではこのような通念が現在あり、JRをはじめとして車内における乗客の振舞い方について必要な管理をする電鉄会社等は、このような要請を含む規則を作っています。

しかし、諸外国に目を向けると、他者危害禁止という原則は私たちと同様に持っていますが、必ずしも携帯通話を一律に規制しているとは限らないようです。さらに、集合住宅(マンション等)の多くは、ペットを飼うことを許可するかどうかを決めていますが、許容しているところもあれば、禁止しているところもあり、さまざまです。共通している点は他者危害禁止という原則を意識して「周囲に迷惑になるからペット飼育禁止」、または「ペットを飼ってもよいが、周囲の迷惑にならないように十分注意すること」等としている点です。つまり、飼育禁止と許容の間は「周囲の迷惑になるかどうか」の判断によって分かれるのです。そして許容する場合は、「迷惑にならないよう十分注意」しても残る周囲への影響について「お互い様」だから許容し合おうとしているのです。

「他者危害に禁止」すなわち「他人に害を及ぼしてはならない」ということを現実に実行しようとすると、人間どうしが関係しあいながら生活しているのですから、お互いに何らかの影響をし合うことは避けられません。そうすると「袖触れ合うも多少の害」と見るか、袖が触れ合うくらいなら「お互い様」と許容しあうのがよいか、また、そのくらいは許容し合おうとなったら、「では、どの程度の影響を与えたら、害と見るか」という線引きが必要になります。

ソフト・ロー:社会通念; 様々な決まり

こうして、「お互い様」の範囲のことか、それを超えて「他者危害禁止」が適用される害なのかの線引きが、いろいろな仕方でされています。上に挙げたようなペット飼育については、マンションの管理組合がルールを決めるとか、賃貸の管理会社が決めるなど。

喫煙についても、かつて煙を不快に感じる人もいましたが、多くの人が喫煙をよしとしていた頃は、ほとんど規制がありませんでした。喫煙は喫煙者自身の健康に害を及ぼすというだけでは、だから倫理的にだめとはならず、自身の健康に害を及ぼすような愚かなことをする権利(=愚行権)が喫煙者にはあるとされていたのです。しかし、やがて喫煙しない人にも害を及ぼすという受動喫煙の害が社会的に認識されるようになると、他者危害禁止がここに適用されるようになったわけです。こうして、飲食店をはじめとして、さまざまな場所について、そこを管理する権限を持つ者が、喫煙席を禁煙席を分けるとか全体を禁煙にする等の対応をしたのでした。

COVID-19の感染拡大を防ぐため「不要不急の外出は避けるように」というキャンペーンが行政によりなされたこともありました。これは公的に表示されたことではあり、感染による害を防ぐことが目的ですから他者危害禁止が適用されていますが、「不要不急」かどうかは、個々人が良識を発揮して判断することとされています。

このように、社会通念、ローカルなルール、大まかなガイドライン(+個々人の良識)といったものが「線引き」をすることで、倫理原則を具体的にどう適用するかを示していることになります。こうしたルールとかガイドラインといったものは「ソフト・ロー」(柔らかな法)と呼ばれています。

ハード・ロー:国家・行政による実行力を伴う決まり

社会の平和と秩序を守るために、よりしっかりと他者危害禁止を実現しなければならないと思われることについては、明確な線引きを公文書により行い、違反に対する罰を定め、かつ、そうした罰の執行をする機能(警察・検察・裁判所等)を備えた法が国家・行政により定められます。これは「ハード・ロー」(堅い法)と呼ばれるものです。

以上の限りでは他者危害禁止を実行する刑法などを考えた説明になっていますが、相互扶助奨励を実行する法もあります。そもそも国家が行う諸事業は、実施することを法により明確に定めた上で行われています。道路等々のインフラの整備から、福祉、医療等々の事業まで、国民から税金や社会保険料を徴収して、過ごしやすい社会、誰一人取り残されない社会にするために事業を行うのですから、結局は全国民による「相互扶助」を実行しているのです。そして、ハード・ローはどこまで相互扶助をするか、どのようにするかを明確にするものとなります。

倫理とその周辺

臨床倫理セミナー(臨床倫理事例検討会等)で簡単に説明する時の図 「倫理と道徳/法と倫理」はこちら

倫理 と 法

用法1:「倫理」はハード・ローを含む全体を指す

前項で、倫理原則だけでは具体的にどうするべきかが分からないことが多いとして、他者危害禁止をめぐっては自分の行動が周囲に影響を及ぼす場合、どの程度までなら「お互い様」ということで許容され、どの程度を越えると禁止される周囲への加害とされるかの線引きが必要であることを指摘しました。検討するテーマによって、その線引きが通念によってなされたり、ローカルな人々のグループによるルール、取り決め、申し合わせなど「ソフト・ロー」によってなされます。これに対して国家ないし行政が法を制定することにより、倫理原則をどう具体的な状況に適用するかが定められることがあり、このような法つまり「ハード・ロー」を倫理原則の具体的適用の仕方を示すものとしたのでした。他者危害禁止について言えば、社会の平和や秩序を保つためには、強制力が発揮できるような他者危害禁止の実行が必要な事柄について法が制定されることになるでしょう。

福祉や医療のような国家ないし行政が行う事業も、法として具体的な内容を定めることで実行可能になります。この場合「相互扶助奨励」原則の具体的適用の仕方を示すことになるわけです。このようにして、税金や社会保険料を納めることにより、国民は「互いに協力しあって社会の発展・維持にコミットする」ことを実行するのです。

こうしてみると、「倫理」は倫理原則、ソフト・ロー、そしてハード・ローを規範とする倫理のシステム全体を包含する概念であり、「法」はそれの上述のような部分を示すものだということができるでしょう。

用法2:「倫理」はハード・ロー以外の部分を指す

上述の用法1に対して、「法に訴えるか、倫理の範囲にとどめるか」というような言い方で法と倫理を区別する場合があります。COVID-19 拡大に対して、人々が街に出歩くことを法的強制力を発揮して規制するロックダウンというやり方を多くの国がとったのに対して、日本はそこまではしませんでした。すなわち、科学的根拠のある感染拡大を防ぐ手段を公的に示し、不要不急の外出等を自粛するよう呼びかけました。これはソフト・ローの範囲で社会のメンバーの良識に訴え、「不要不急かどうか」は個々人がその良識により判断し、自らをコントロールすること、つまり「自粛」という語で象徴される対応を呼びかけたのです。そして、このことを「法を出動させず、倫理の範囲で収める」などとする際には、「倫理」の用法2が使われているわけです。

倫理 と 道徳

「倫理」と「道徳」はほとんど同じ意味で使われることが多いですが、あえて使い分けを考えると、「道徳」は、私たちの文化がもっている諸規範を事実として前提して、それを教育したり、身に着けたりするものとして考える文脈で使われる傾向があります。例えば、初等教育においては「道徳教育」という表現のほうが主流ではないでしょうか。これに対して「倫理」は私たちちの文化の中で流通している諸規範を、理に適ったものとして理解した上で、あるいは時には規範をより理に適ったものに改訂する作業をした上で、自分たちが主体的に携えるものとするような文脈で使われると言えそうです。例えば「生命倫理」は生命操作に関わる規範を明確にする、ないしは策定しようとする作業をする学の領域で、「生命道徳」とは呼ばないのです。以下、このような使い分けになった経緯を探ります。

「倫理」⇒ethical/ethics 「道徳」⇒moral/morals

欧米の倫理ないし道徳をめぐる思想が日本に入ってきた際に、英語のmoral/moralsには「道徳(的)」、ethical/ethicsには「倫理(的)」という訳語が充てられたようです。ドイツ語、フランス語と日本語の間にも同様でした。少なくとも哲学・倫理学の世界ではそうでした。。

そこで、ethical/ethicsとmoral/morals(およびこれらに対応する独・仏語等)について見ると、いずれもラテン語(ethica/moralis)由来の語です。そしてこれらのラテン語はギリシア語でなされていた古代ギリシア哲学に遡源しており、エーティケーというギリシア語に由来します。ギリシア語をそのままラテン語化して使った系統が英語のethics/ethical であり、エーティケーに対応するラテン語の用語として選ばれたものがmoralisだったのです。いわば、英語のethics をそのままカタカナで表わした「エシックス」と対応する日本語の用語として選ばれたものが「倫理(学)」であるのと似たことが、ギリシア語の思想がラテン語の世界に入った時に起きたのです。では、moral と ethicalとは同じ意味かというと、全く同じではありません。次のような事情があります。

倫理(学)は道徳に関する(哲)学

「倫理(学)(=ethica) は、道徳に関する哲学ないし学問(=philosophia moralis) である」という両者の区別ないし関係についての理解が古くから成り立っていました。このように定めると、同じギリシア語に由来する2つの語ですが、「道徳」は人間の間にあるもの(慣習・道徳・規範)で倫理学の対象になり、また「倫理(学)」は人間の間にある道徳について哲学的ないし学問的に探究する営みであることになります。この使い分けが、上述の「道徳」と「倫理」の使い分けに影響しているように思われます。

「倫理」と「マナー」・「エチケット」との異同は?

マナーも倫理も社会規範と言って良さそうですね

「マナー」はずいぶん広い範囲で言われます。「テーブル・マナー」とは、箸や、ナイフ・フォークの使い方、また、「ものを咀嚼する際に、口を噤み、開けないようにしましょう」といったことですね。
しかし、公共の場における「タバコを喫わない、ゴミのポイ捨てはNO、電車の中では携帯による通話はいけません」等々の「公衆マナー」と言われるものは「倫理」とも言えそうです。

公共の場で考えると・・・

倫理とは区別されるような「マナー」は、それに反する行動について「知らないから違反した」と通常解されます

例えば、ナイフ・フォークの使い方がマナーに合っていないとか、ものを噛む際に口を開けて「くちゃくちゃ」音をたてるといった行動を見ると、通常は「知らない」「躾けられなかった」からそのように振る舞っているのだと解されます。通常は「周囲の人の迷惑に配慮しない」というような人間関係についての社会的要請に反しているといった非難はされません。そもそもナイフとフォークの持ち方が少々異なるくらいでは周囲の人に不快感をもたらしはしないでしょう(その人が生きている文化によって反応はいろいろでしょうが)。
しかし、倫理と重なるような公衆マナーは、大体が「皆に迷惑をかけない・害を加えない」ということが根拠になって、違反する行動は非難されるのです。

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