高齢者ケアと人工栄養を考える_第4刷
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4 何を目指しますか話し合いの進み具合・その他前項に書いたような次第で、関係者の意見は一致した。ただ、さらに言うと、〔水分補給〕の持続皮下注にしたとして、本人が輸液の管を繰り返し自己抜去してしまったら(そういう力が残っているかどうかは分らないが)、輸液をやめるという可能性も考えましょうと言われ、それはもっともだと、了承してもいる。いろいろな可能性を考えなければならないのだなあ、と思った。□〔人生の延長+快適な日々〕を目指します(充実した、快適な人生が当分続くことを目指します)        ⇒5A□〔快適な日々〕だけを目指します(今後、できるだけ快適に過ごすことを目指します─長さは問わない) ⇒5B〔コメント〕医学的には終末期で、この段階での摂食困難はノーマルなプロセスであって、人工的に水分・栄養補給はしないということが、本人にとって最も苦痛の少ないやり方だということである(看護師さんもそう説明してくれた)。だから、可能なかぎりごく少量でもいいから経口摂取に努め、やがて一口も食べなくなっても、「自然にゆだねる」のがよいのだろう。5B ご希望は定まりましたか?□〔快適な日々〕→ 〔補給なし〕を選び、人工的水分・栄養補給はしないで、 可能な限り経口摂取に努めることにします□〔快適な日々〕→〔水分補給〕を選び、〔末梢点滴 持続皮下注 中心静脈(注入量を絞る)〕 にします〔コメント〕決めきれない。理屈としては〔補給なし〕なのだろう。とはいうものの、息子としても娘としても、何もしないことには抵抗感がある。妻は、最初、医師や看護師のいうとおり、人工的な水分・栄養補給をしないほうが母のためによいということなら、それがよいのではないかと言ったが、私や妹の話を聞いて、今は同調している。家族としては〔水分補給〕のほうが安心できそうな感じである。当面、ほんの少量でも口から食べたり飲んだりできる限りでの水分・栄養補給にとどめるが、いよいよ経口摂取がまったくできなくなったときに、人工的な水分・栄養補給を何も行わないということには、家族として心理的な抵抗感があるということを説明し、ケアスタッフとも話した。そうしたところ、医師・看護師さんから、持続皮下注射で1日300cc程度の輸液をするという提案をしていただき、それなら家族もいろいろな意味で安心できると思って、これで合意した。つまり、当面は〔補給なし〕だが、やがて〔水分補給〕にする含みがある。70

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