高齢者ケアと人工栄養を考える_第4刷
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きるでしょう。逆に、本人にとって辛いだけでは、人生の物語は延びた意義があるとは言いがたいのではないでしょうか。●本人の意向が推定し難い上に、現在本人にとって辛いも楽しいもなさそうに見える状況(実際に、快・不快を感じていないのかもしれませんし、感じていても表現できないのかもしれません)で、そこから改善する見込みがない場合は、本人の人生の物語りは本人を想う人たちが共同で創るしかありません。その場合、本人のお世話をしている人たち(家族や介護従事者)と本人との関係がどうであるかによって、物語りが左右されることもあります。ですから、ご本人と親しかったいろいろな人たちが共同で本人の最期の時期の物語りを創るようにします。一方的な見方ですと、自分の都合、自分の本人に対する思いに偏ってしまう危険があるので、気を付けましょう。■ 家族としていろいろ考えることもおありでしょう。Q1(46頁)も併せ参照してください。■ 〔ケア従事者の方へ〕独居であったり、身よりがなかったりして、家族ないしはそれに代わる立場の方が見当たらない時、ケア従事者としては、本人の人生、人柄についての情報がほとんどないため、以上のように考えることができません。そういう場合は、できるだけ多くの関係者で、人は一般にどういうことを好むかを物差しにして考えざるを得ないでしょう。医療・介護チームだけでは一方的な結論になるおそれがあるとご心配でしたら、日頃から、第三者もふくめた臨床倫理委員会のようなものを作っておいて、一緒に考えるようにしておくのがよいのではないでしょうか。(ご本人・ご家族に、親しい者がいない時、いなくなった時にどのような意思決定プロセスになるのか、お分かりいただくために、この項も出しておきます。)50

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