心積りノート 考え方・書き方編
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ステップ3 今後の治療・ケアについての心積りも主流です。しかし、本ノートでは、緩和ケアというのは人生の終りの時期に限らず、どの時期であれ、人のいろいろな面における苦痛を和らげようとする活動を指すことばとして使っています。[麻薬-モルヒネ/鎮静]身体のあちこちが痛い場合、通常の鎮痛薬で痛みを緩和できるうちはそれをやりますが、通常の鎮痛薬では痛みがとれなくなってくると、麻薬系の鎮痛薬(モルヒネ、オピオイドなど)が選択肢になります。80年代半ばに、これを使って痛みを有効に抑える方法が開発され、その後も副作用ができるだけ出ないように投与の仕方が改善されてきています。ですから、通常は、余命が縮まるとか、常習になるとか、精神に異常が起きるといった心配は不要です。よく、モルヒネを使うと生命が短くなると思って嫌がる方がおられますが、それは誤解です。また、余命が短くなるような副作用の可能性があるとしたら、よほど人生の終りが近づいて、身体全体が衰弱している場合です。こういう場合に、余命が多少短くなることを嫌って、痛みの辛さを我慢する/我慢させるのは、本人にとっての最善からいうと、本末転倒です。我慢せよというのは、本人を痛みのうちに放置するわけですから、虐待に等しいことです。次に、「鎮静(セデーション)」というのは、辛さを感じる意識を下げることによって(眠ったような状態、あるいは手術で全身麻酔をかけた状態に似ています)、辛く感じなくさせる方法です。モルヒネのような強い鎮痛剤でもやわらげられないような痛み等の苦痛でも、それを感じる意識を下げてしまうので、緩和が可能です。ただし、辛さがとれたからといって、何かできるようになるわけではありません。快適さについて、苦痛がないことと残っている力が発揮できるということを挙げましたが、この後者をできなくしてしまいます。言い換えると、鎮静には人間的な生活ができなくなるという重大な欠点があります(鎮静の度合いにもよりますが)。ですから、他に緩和する方法がない場合にやむを得ず実施するものとお考えください。鎮静を適切に用いれば、生命を縮める効果はほとんどありません。生命を縮める場合については、上述のモルヒネの場合と同様に考えることができます。[生命維持を終了する場合]前項までに説明した生命維持(人工的栄養補給、人工呼吸器、人工透析)については、それぞれ「こうなったらもう選択しない」というポイントを考えていただきました。それぞれの図に記入した⇒の右端を越えたらやらないのでしたね。ということは、それより左の時点で始めたとしても、⇒の右端の時点になったら終了することが適切ということになります。加えて、生命維持を続けることが、かえって本人の身体に負担になり、快適さを減じてしまい、結局本人の人生にとって益とならなくなったら終了する、ということが、緩和ケアの考え方からもいえます。49ステップ 1ステップ 2考え方ステップ 3ステップ 3おわりに

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