心積りノート 考え方・書き方編
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して身体が回復してきた場合には、身体が自力で呼吸したり、飲食したりできるようになるでしょうから、生命維持を終了することになります。ここでいう生命維持は、そういう積極的治療に伴う場合ではなく、身体が衰えてきて、自力では十分な呼吸ができなくなった、十分飲食ができなくなった場合に、それを補うことによって、生命を長持ちさせようとすることです。本項では、まず、飲食ができなくなってきた場合を考えます。例で考えましょう高齢になって、口から食べたり飲んだりすると、誤って気管支のほうに行ってしまうようになりました。むせることがよくあります。熱が出て辛くなり、受診すると、誤嚥性肺炎だと言われます。さて、ある高齢者は、病院で診察を受けたところ「嚥下機能(ごっくんと飲み込む働き)に問題が起きています。それで食べたものが、食道から胃に行くべきなのに、気管支から肺のほうに行ってしまうんですね。さしあたっては口から飲んだり食べたりするのは危険です」とのことで、「人工的に栄養補給をするかどうかを考えましょう」と言われました。人工的栄養補給というのは、いくつかのやり方がありますが、比較的長期間必要だという場合、《胃ろう*》といって、お腹から胃にごく小さな穴をあけて、チューブを通しておく装置を造って、そこを通して水分や栄養を送り込み、人工的に栄養補給して生命を保つ方法が、まずは候補になります。この他、「経鼻経管栄養」といって、鼻から喉・食道を通して胃にいたるチューブを入れ、それを通して水分・栄養補給をするとか、「中心静脈」という胸の鎖骨甲骨の近くから太い静脈に経路を作って、高カロリーの輸液をする方法があります。本人・家族にとっては、こうした人工的水分・栄養補給の具体的方法を考えるに先立って、「人工的に栄養補給をするかどうか」が先決問題です。以下では、人工的栄養補給をするかどうかを考えた例を3つみてみましょう。3例とも、以上に説明した人工栄養をするかどうかを考える状況は共通しています。38

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