心積りノート 考え方・書き方編
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昔は若い時からがんをはじめとするいろいろな疾患に罹る方がそれなりにいて、櫛の歯がこぼれるように、周囲の人々がだんだん亡くなっていったものです。しかし、医療が進歩して、健康保持、疾病予防がよくできるようになって、多くの人は超高齢になるまで生きられるようになりました。ですから、あなたが現在壮年期を過ぎて高齢期になっているとして、まあまあ健康でおられるなら、90歳過ぎまで生きる可能性が大きいと言えるでしょう。そこで、ここでは、そういう道を辿ると仮定して、これから先の暮らしと、どこかで病気になったり、老いによって衰えたりした時の治療やケアについて心積りしておきましょう。すでにステップ2で他人様の場合について考えてみました。そのことを思い返しながら、自分が老いて行く過程のどこかで、病気になったり、衰えて周囲の人々の世話になるようになったりした場合に、どうするかを検討しましょう。2 -1 老人力の発達段階「老いていく」というのは、これまでできていたことがだんだんできなくなっていくことです。少しずつできなくなっていくのですが、それをあらかじめ細かく考えておくわけにはいきません。そこで、心身の衰えについて大まかにいくつかの段階に分けて、その段階になった場合に「どうしてほしいか」「どうしてほしくないか」を考えることにしましょう。こういうことを考えるのは、老いが進んでも、その時の自分の状態・備えている心身の力に合わせて、快適に生きるためですから、これらの段階を「老人力の発達段階」と呼ぶことにしましょう。なお、次に挙げる諸段階で「支援が必要」等といっているのは、病気やケガのために一時的に支援が必要になっていることは含みません。持続的に支援が必要な状況にあり、それがより必要な状態になることはあっても、以前の必要としない状態に戻ることはないと思われる場合のことです。また、高齢期の生き方において認知症のある・なし、程度は重要ですが、以下では、認知症があるかどうかで区別はしておらず、認知症がある場合、その結果、身体の程度が同じでも、周囲の支援・介護の必要度はより高くなりますので、段階が進んでいると評価することになります。また、高齢期の生き方において認知症のある・なし、程度は重要ですが、以下では、認知症があるかどうかで区別はしておらず、認知症がある場合、その結果、身体の程度が同じでも、周囲の支援・今後の暮らしと活動についての心積りステップ222

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