現代における「看護の倫理」の展開
―『看護学雑誌』(1946~2003年)に見る―
末永恵子(福島県立医科大学)

戦後日本において、看護職は、特殊な社会的・歴史的状況のなかで発展してきた。その中で、看護職はいかにあるべきかという議論も数多くなされてきた。そのような「看護の倫理」をめぐる議論の展開を、戦後史の政治的・社会的・文化的文脈の中で捉えることは、現在そして未来の看護職のあり方について考える際の参考となるであろう。

本発表は、この課題に取り組むためのささやかな一歩として、主として看護学生・看護職に読まれる看護雑誌に掲載された「看護の倫理」に関する内容の記事を拾い、そこに見られる特徴を把握し、歴史的文脈の中に位置づけ、その展開を追う作業を行う。具体的には、『看護学雑誌』(1946~2003年)を採り上げた。この雑誌は、看護雑誌の中では最も歴史のある商業誌である。これを分析する理由には、月刊誌であるため、時代の流れには敏感に対応する姿勢が見られ、言説の背景がつかみやすいという方法上の利点がある。また、雑誌の特徴のひとつとして、読者に密着することを自ら謳っているように、読者からの投稿された原稿を掲載する欄のウエイトが大きいことが挙げられる。その投稿の内容は、看護技術の研究報告・統計・新しい看護の工夫などの研究から俳句・短歌・詩などの文芸作品、論説、生活記録(日記の一部)まで多岐にわたっており、当時の看護学生や看護職の状況や問題意識やジレンマを映し出している。したがって、識者が「看護の倫理」をいかに説いたのかについて知ると共に、それを読者がいかに読んだかについても、読者欄からうかがうことができるものがある。

さて、看護職の職業意識の変化は、「補助的奉仕者」から「患者の代弁者」へという言葉に象徴されているといわれている。1946年10月『看護学雑誌』の〈創刊のことば〉には、「(看護婦は)真に女子特有の才能を生かし、医師と協力して医療と保健指導の成果を上げるに適する高き教育と専門技術を具備する職業者たることが要求される」とあり、そのような看護婦養成の趣旨に添う編集方針が示されている。それから約58年後の2003年6月号の特集は〈実例に学ぶ患者アドボカシー〉であって、看護職の「患者の代弁者」としての立場に焦点を当てていた。ここにいたる過程を、特に読者からの投稿を重視しながらたどってゆきたい。

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