医療教育における「隠れたカリキュラム」
松浦明宏(東北大学文学研究科)

医療教育における「隠れたカリキュラム」(hidden curriculum)の問題は、現行の医学・看護学教育制度の中で倫理教育が依然として十分な機能を果たし得ていないことの根幹に位置づけられる。この「隠れたカリキュラム」がまず医療従事者間の望ましいあり方を損ない、それが医療者-患者関係の望ましいあり方を損なうことにつながり、人文社会科学的観点からみた医療の質を低下させる主な要因の一つになっている。

ハフェルティーとフランクスは、特に医学教育について次の状況を報告している。すなわち、学部や研修期間中のさまざまな苦しい訓練や学習において、人によっては「罵倒」されるような仕方で教えられたり、教室内で教師や仲間の学生が口にする「冗談」や「個人的逸話」など、要するに、医学教育の学科内容ではなくて、それが教えられる反倫理的環境・文化によって、学生の性格が変わる。正式科目の中で知識や技術を教えることよりはむしろ「医療文化のレプリカ」を作ることに関わる非公式のカリキュラムが医学教育の中に潜んでいて、この「隠れたカリキュラム」が医学生の性格形成に大きく影響している、ということである。こうした隠れたカリキュラムのもとで形成された性格を持つ者に、倫理学が教科として教えられた場合にどうなるかといえば、「冷笑」の感情が生じることになる。なぜなら、倫理学の科目内容と、隠れたカリキュラムの中で教えられることとが正反対の性質を持っているからである。

医学教育の中で正規の倫理教育が十全に機能しないことの一因として、上記の事情があるということは、既に欧米の多くの研究者によって指摘されているところである。だが、日本においては、隠れたカリキュラムの問題は、一般の学校教育における性差の問題として論じられることが多く、医学教育の場面に特定された形で論じられることは少ない。したがって、もしわれわれが、医療者と患者の信頼関係構築など、人文社会科学的観点からみた医療の質の向上を目指すならば、医学教育における「隠れたカリキュラム」の問題を今後 さらに研究し、解消していく必要があるだろう。

本発表では、この問題に関する近年の欧米の諸研究について中間報告を行う予定である。

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