遺伝性疾患の社会的不利益
伊藤道哉 東北大学大学院医学系研究科医療管理学分野
濃沼信夫 同
佐伯智子 兵庫医科大学家族性腫瘍研究部門
石川秀樹 同

【目的】
日本人類遺伝学会、日本遺伝カウンセリング学会などの10学会は、臨床遺伝子検査の指針を昨年8月発表した。また、ユネスコは10月16日、「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」を採択、個人の秘密保持、差別禁止を定めた。米国では、10月15日厳しい罰則を規定した「遺伝情報差別禁止法案」(Genetic Information Nondiscrimination Act)が上院を通過、HIPPA(Health Insurance Portability and Accountability Act)による個人情報保護の法的保護がさらに強化されようとしている。我が国における遺伝性難治性疾患患者・家族の、生命保険等加入に関する不利益については必ずしも明らかでない。そこで、家族性大腸腺腫症(FAP)患者・家族の状況について調査し、遺伝子検査の不利益を最小化する方策を探る。FAPを対象とした理由は次の4点である。

  1. APC遺伝子診断の臨床的意義が確立している。
  2. 「家族性腫瘍の易罹患性に関する研究と臨床に関する遺伝子検査ガイドライン」が整備されている。
  3. 「家族性大腸腺腫症患者(FAP)に対するがん予防試験:J-FAPP」倫理モニタリング委員会が機能している。
  4. 検査前後の遺伝カウンセリング体制が整備されている。

【方法】
倫理モニタリング委員会の審査のもと、各施設の倫理委員会の承認を受け、患者・家族のインフォームド・コンセントを得て調査を実施、連結不可能匿名化の後解析した。

【結果】
生命保険等加入に関する社会的不利益については、患者(95名に呼びかけ79名が回答)の50%が「不利な扱いなし」、26%が「加入を断られた」、11%が「不利益を受けた」、13%が「わからない」と回答した。家族(78名)であるが、82%が「不利な扱いなし」、6%が「加入を断られた」、6%が「不利益を受けた」、6%が「わからない」と回答した。

不利益についての記載:「A保険から私以外なら加入できると書状で返事が届いた。10数年前です。昨年,(民間)介護保険に加入しようとしたがポリポージスの事も保険医に申告したら,加入できないと保険会社(M生命)から返事がきた。」(46歳,女性患者)。 「終身保険(傷害特約)不慮の事故、伝染病に及いてのみ通用する保険です。家族性大腸ポリポージスの病名を告知した所,普通の保険には加入できず,傷害特約のみと成った。28才で離婚をし,子供が一人居りましたが,先方が引き取りました。その娘も22才の時,発病,手術を受けたとの事です。昭和58年に再婚をし,平成1年に子供に恵まれました。主人も私も遺伝のことを承知の上で産む事に決め,現在10才と成りました。4才頃遺伝子の検査を受けたのですが,結果は聞いておりません。」(49歳,女性,患者の母,保因者)など,不利益の具体的内容が縷々つづられている。不利益の状況について具体的に記載された内容を分析すると、「大腸癌」「FAP」「ポリープ」「手術歴」「入院歴」等病歴を正直に申告した場合に、加入を断られる場合があること、家族の病歴をありのまま申告することで、他の家族が不利益を受ける場合があることが示唆された。また、難治性疾患(特定疾患)認定を受ける等、医療保険における公費給付による支援を受けて、長期の医療費の負担を少しでも軽減したいという切実な訴えが多くみられた。

【考察】
本調査は、レトロスペクティブな意識調査であり、回答はあくまで本人の認識である。また、疾患別比較については今後の調査を待つ必要がある。加入謝絶等の主な理由は、病歴等の申告であると推定される。保因者が遺伝子検査の結果を申告した場合に、それのみを理由に謝絶された例があるかどうかは不明である。しかし、今後遺伝子検査が一般診療として普及する状況下では、遺伝子検査の結果について申告した場合、生命保険等の加入謝絶の直接理由となる可能性がある。したがって、遺伝子検査を受ける場合、被検者に対して「加入希望があれば、入るべき保険を選択し、あらかじめ加入しておくことを」「遺伝子検査の結果を知ってから、陽性の結果を告知せず、新たに保険に加入することはさけるべきであること」を説明する必要があると考えられる。

【結論】
10学会ガイドラインでは「検査結果を開示するにあたっては,開示を希望するか否かについて被検者の意思を尊重しなければならない.得られた個人に関する遺伝学的情報は守秘義務の対象になり,被検者本人の承諾がない限り,基本的に血縁者を含む第三者に開示することは許されない.また仮に被検者の承諾があった場合でも,雇用者,保険会社,学校から検査結果にアクセスするようなことがあってはならない.」とあるのみである。未だ治療法の見いだしがたい遺伝性疾患について、不利益の状況をさらに把握してゆく必要がある。そして、実効性のある強固なガイドラインの策定が喫緊の課題であり、さらには法制化について、積極的に検討してゆく必要があると考えられる。

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