医療現場の個別事例から医療体制までを視野に
清水哲郎(東北大学大学院文学研究科)

本プロジェクト研究《医療システムと倫理》は二つのコア研究――〈医療現場における意思決定・問題解決・協働〉と〈医療システムと医療専門家組織、保険者、民間保険機関の役割〉――から成っている。このうち前者についてここでは何を目指し、何を問おうとしているのかを提示したい。

コア研究《医療現場における意思決定・問題解決・協働》は、これまで報告者が主宰してきた《臨床倫理検討システム開発プロジェクト》(臨床倫理研究会)を母体として、それを発展させる研究をしようとしている。これまでしてきたことは、医療現場に密着し、そこで実際に活かすことができる倫理を、哲学・倫理学を専門とする者と医療者とが共同で作り上げようとすることであった―すなわち、臨床倫理である。

臨床倫理は現場の具体的・個別的な問題に取り組むことを、その活動の核としている。個別的な問題はあくまで個別的なものであるが、だからといって、検討は「ケース・バイ・ケース」に行うしかないと言って終わらせたのではならず、検討の仕方を標準化する必要がある。そこで〈医療行為の構造〉を明らかにし、〈参照すべき倫理原則のセット〉を整備し、〈どのような点を押さえつつどのように検討するか〉について実用に耐え得るやり方を設計する・・・といった作業を「検討システムの開発」と呼んで試みてきた。

(1)こうした過程で、例えば倫理原則のセットを検討することと、個別事例の分析の仕方を検討することとは表裏一体の作業であったが、その検討は結局「私たちは人間をどう見るのか」ということに行き着く。それは私たちがその中で生きている文化を理解することでもあり、また私たち自身が直観的にどう考えているかを省みることでもあり、それを精確に語り直そうとするいわば哲学的作業でもある。そこで見出された人間は互いにコミュニケーションをしながら医療を進めていく者たちであり、〈ことばに共に与る〉者たちであった。このことが、倫理原則においても、また個別の検討の進め方にも基本的な要素となった。医療を単にbiologicalな生のコンテクストの中で捉えるのではなく、むしろbiographicalな生のコンテクストの中で捉え返すこと――それが臨床倫理学の視点となる。

(2)ところで、これまで考えてきた臨床倫理学の《倫理》とはどういうものであったというべきだろうか。ここには確かに「私は今かかる状況においていかに振舞うべきか」という個人的要素もある。だが、それだけではない。むしろ医療者たちがチームとして、また医療者たちが属している医療機関が「どのように対処すべきであるか」という要素、また私たちの社会が医療についてどのように理解し、位置づけ、個人の利益をどこまで社会全体で支えていくべきかといった社会的要素がはじめから含まれていたのである。

つまり、個別事例は単に個別の個人的問題なのではなく、個別事例には、社会の中での医療システムのあり方が必ず反映しており、個別事例は常に全体とつながっている(このことについて、ALSの患者・家族をめぐってここ数年考えてきたことを例に考える)。

このようにして、臨床倫理的検討が医療の質の向上につながるためには、より広い視野に立って医療全体を見渡しつつ研究を進める必要がある。それが、今から本プロジェクトが、また本コア研究グループがしようとしていることであり、ここにお集まりいただいた方々とこれから協働して考えていきたいことである。

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