痴呆老人の家族や親戚が非協力的で冷淡であったために意思決定に苦慮した2事例

 

                       介護老人保健施設医師 清藤 大輔

 

1.家族による代理決定を適切に進められたかどうか苦慮した1事例

事例1 79歳、女性、Aさん

病名:脳梗塞、アルツハイマー型痴呆、特発性血小板減少性紫斑病(ITP)、ほか

 

老健入所までの経過67歳で脳梗塞に罹り、以後左片麻痺となる。77歳頃から物忘れや物とられ妄想などが進行し、アルツハイマー型痴呆と診断された。しばらくは訪問看護・介護を利用して在宅療養を続けていたが、独り暮らしによる不安感がつのり、在宅療養の継続が困難となったため、平成157月から仙台市内の介護老人保健施設(以下、「老健」と略記)に入所となった。

 

家族構成:夫とは離婚。長男、長女とは離婚時から別離。約50年間独居中。

生活歴20歳で結婚、2子をもうけたが8年目に離婚。以後、子供2人は夫が引き取る。60歳までは自活。以後、生活保護となり、仙台市内のアパートで独り暮らしとなった。当初は時折あった子供たちとの交流もすぐに途絶え、その後はずっと子供たちによる面会はなく、本人も子供たちと連絡を取ることはなかった。特に長男とは40年以上会っていなかった。ただし、長男はアパートの保証人にはなっていた。キーパーソンは長男。長男は宮城県富谷町在住。

 

老健入所後の経過:平成1631日から嘔気と食欲不振はじまる。両下肢に浮腫も現れたので消化器科を受診し入院となった。①胸腹部大動脈瘤、②逆流性食道炎と診断された。また、食事摂取不十分が原因で低栄養となり、そのため心負荷が増大し、浮腫をきたしたと判断された。①に対しては手術が検討されたが、部位的な困難さ、基礎疾患(ITP)、年齢や体力を考慮した結果、手術不適用となった。低栄養を改善する必要があったが、同じ理由で内視鏡などの侵襲的処置が不適用だったため、胃瘻増設による経管栄養は見送られた。また、入院中、末梢点滴静脈注射をしばしば自己抜去したことに基づいて、中心静脈栄養も見送られた。よって積極的医療の適用外と判断されたため、同年35日に退院し、老健に再入所となった。

再入所の時点で浮腫はすでに四肢と顔面に拡がっていた。医師はターミナル期であると判断、すぐに今後の方針決定のため家族との面談を調整しようと試みたが、同年322日にやっと長男と電話が通じた。医師は「老健では十分なターミナルケアを行えないので、退所の上、十分なケアを受けられる環境調整をしてはどうか」と電話で長男に薦めたが断られ、長男は「不十分でも構わないから老健で看取って下さい」との意向を示した。「もう親への愛着や執着はありません」という理由であった。一度対面の上での話し合いが必要と思われたため、再度長男との面談の調整を試み、同年330日(死亡15日前)、面談が実現した。医師は「予後が1週間から数週間と予想され、その間、嘔気、嘔吐、身の置き所のなさ、痛みなどの苦痛が予想されるにも拘わらず、老健では十分な症状緩和が見込めないけれども、退所して他の医療機関に掛かれば相当の対処が可能だろう」と説明の上、それでもなおこのまま老健での看取りを選択するのかどうか長男に確認した。しかし、長男はやはりなお老健に拘った。理由は、「当老健が最も都合がよく、かつ経済的にも他をあたる余裕がないので、どこにも移せません」というものだった。とりあえず、緩和ケアに準じてケアを試みた。

その後1週間ほどで経口摂食ができなくなり、るいそうが進み、同年414日、永眠された。その間、嘔気、嘔吐や身の置き所のなさには制吐剤やステロイド剤を経口投与したが、最終的には薬剤の投与が困難となり、難渋する場面もたびたびあった。しかし臨終は比較的穏やかであった。

 

ポイント

①家族、とくにキーパーソンである長男との連絡が取れずに、代理決定が適切なタイミングや適切な形式で行えなかった。

②面談は一応実現したけれども、長男が母親と長年別離していたうえ、関係が極めて疎遠で冷淡であったため、心から親身になった代理決定であったかどうかについては疑念が残った。

 

2.末期の栄養方針を未決のまま他院へ紹介せざるを得なかった1事例

事例2 85歳、女性、Bさん

病名:老人性痴呆、慢性心不全ほか

 

老健入所までの経過:発症時期は不明だが物忘れや感情失禁が始まった。デイサービスや訪問介護を利用しながら在宅で独居を続けていたが、ますます痴呆症状が悪化して在宅生活の継続が困難となったため、平成157月から老健に入所となった。

 

家族構成:夫、子供とはすでに死別。甥が山形県に在住。

生活歴:生活保護で独り暮らし。隣人が家族のように面倒をみていた。唯一の親戚である甥との関係は希薄。ただし身元引受人にはなってくれるとのこと。

 

老健入所後の経過:平成15116日頃から食欲不振はじまる。顔色不良や浮腫も現れたので消化器科と循環器科を受診し入院となった。全身精査の結果、ジギタリス中毒に起因する食欲不振と診断された。同年1126日に退院し、老健に再入所となった。

 しかし、再入所後もふたたび前にもまして食欲不振となり、同年1216日、同病院に再入院となった。再精査したにも拘わらず今度は明らかな原因が判明しないまま退院し、同年1225日、老健に再々入所となった。

 再々入所後も、食欲不振がますます進行し、気力や活動性の低下も顕著となり、このままでは衰弱は必至と考えられた。

活動性の低下は痴呆の進行を反映したものである可能性も否定しきれないため、痴呆専門病院への転院や強制栄養をするかどうかを早急に検討する必要があった。甥に電話で連絡を取ったが、甥は「どうでもよい。好きにして下さい。延命処置は不要。死亡したら引き取りに行きます。」という意向を示した。面談の調整を試み続けたが毎回「忙しいから」と断られ続けた。どうしても老健側での代理決定をせざるをえない状況となった。

考慮の対象は、①病状をどう判断するか、②栄養をどうするかであった。

①もし「病状は不可逆的に進行している」とみなせば即ターミナルケアの対象となるので、不可逆的かどうかを検討した。活動性の低下は痴呆の一症状の現れである可能性があり、かつ痴呆の症状は環境に応じて改善しうるので、この時点で安易にターミナル期の認定をすべきではないと判断した。②については、従って、ある程度以上の医療的対応が可能な医療施設に紹介するのがベターと判断した。理由は、当座は活動性低下のために食事を殆ど経口摂取しないとしても、その間を必要な検査でモニターしながら末梢点滴などでしのいでおけば、もしかすると活気が回復してくるかもしれないと考えたからである。以上を総合して、療養型病床群をもつ病院へ紹介することに決定した。

 ただしその際、活気が回復せずに末期的状態となった場合に、経管栄養ほかの強制栄養をするか否かに関しての情報提供(つまりターミナルケアの方針についての情報提供)をすることが出来ず、その判断は紹介先病院の医師に委ねざるを得なかった。平成16122日、紹介先病院へ転院となった。

 

ポイント

①唯一の拠り所である甥の協力を得ることが出来ず、本人は実質的に天涯孤独であり、末期的状態での強制栄養をどうするかについての意思決定が極めて困難であった。